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わたしの中国ブーム歴史

こんにちは

中国ドラマ蘭陵王に魅了され、蘭ロス(ペットロスに近い、いやそれ以上)状態から抜け出せない。

そんな私が中国という国に関心を持ったきっかけが1973年に放送された水滸伝というドラマ
主演を中村敦夫さんがされていましたね。

1972年に田中角栄さんが行なった”日中国交正常化”の功績が大きかったんでしょうね。
これでやっと中国ロケも許可され、パンダちゃんも一役かって全国的に中国ブームの大波がおしよせました。

そしてわたしは次にNHK教育テレビの中国語講座に関心を持ち、そのテキストを買って4月から11月までを見てみごと挫折。それが14歳のとき。
1つでも多くの英語の単語や文法を覚えなきゃいけない頃に何で中国語だったのだろうか?

そして高校生の頃には恋に恋して、倶楽部や勉強にも忙しく中国への関心は封印。

再びマイブームが訪れたのには1980年放送のNHKドキュメンタリー”シルクロード”の影響が大きかった。
そのテーマ音楽(喜多郎さんのシンセサイザーの音色が新鮮でしたね)がこちら

さだまさしさんの映画長江や、鑑真さんの渡来を描いた天平の甍も大親友Sちゃんと見に行きました。
井上靖さんの難しい小説”楼蘭や敦煌”も読みました。

大親友のSちゃんとは太極拳も習ったし、ジャッキー・チェンや少林寺の映画をいっぱい見たし、府立体育館で行なわれた武術大会も見に行った。
そこには少林寺に出られてた胡堅強さんがゲスト演武者としてこられていました。
Sちゃんとは休みのたびに、梅田の大中という中国雑貨を扱う店や神戸南京町やら遠くはヨコハマの中華街にまで脚を運んでいました。

それだけでは飽き足らずに、とうとう21歳で初海外ツアーに参加、選んだのがJTBルック7泊8日上海蘇州北京の旅
当時の金額で36万円也、有給とボーナスを使い果たして、今思えばアホとしか思えない行動。でもここで貴重な経験をさせてもらいました。

当時の中国はまだまだ軍事色が色濃かった、タラップで降りた上海の空港・・税関にはこわそうな軍人さん。街の男性のほとんどはカーキーや濃紺色の人民服に人民帽の格好をしていました。ホテル海外客は日本人よりも欧州人がほとんど。

見学先と免税店、食事するところで従業員の方とすこしだけ接触するだけの世界。
ホテルも列車も飛行機も、食事する席も海外客や軍や政府関係者と、一般人とで大きく分けられていましたし。

1981年は大都会といえども上海も北京も夜間はまだまだ暗かった、大きな大きな外灯だけが街を照らしていて、走る車の数もかなり少なかった。昼間もバスと自転車が主だった。
建物も古くレンガつくりが多かった。レンガつくりの高い建物もそれは戦前の日本人が建てたものだったりして、大阪で言えば堂島の中央公会堂のようなとてもクラッシックな建物が多かったように思います。

その頃の北京の空は蒼く澄んできれいだったし、万里の長城も落書きもなくゴミ一つなかった。
紫禁城での見学は半日かけてゆっくりと貸切状態で見学させてくれた、途中休憩所では蓋付き中華マグカップでお茶まで出してくれた。

初中国を体験したすぐ後には日中パンダ倶楽部という文通紹介の倶楽部に入会し、上海在住の戴さんという25歳の青年と、日本語と中国語を交え文通をしました。
今のようなインターネットのなかった時代です、辞書だけをたよりの翻訳は大変だった。
文通は2年ほど続きましたが、彼が結婚をして、赤ちゃんが出来て・・いつの間にか手紙がこなくなり消滅しました。彼の結婚式の写真が今もわたしのアルバムの中にあります。
写真の戴さんて少し水谷豊さんに似た男前でしたね。奥様はたしか蘭陵王に出ていた礼部の侍女の台詞無しの一人によく似ていた。

その後1996年にオッちゃんと結婚10周年で上海北京を4泊5日旅行。
上海はもう完全に商業化した世界になっていました。
上海では自由ツアーについてくれたガイドさん頼んでないのに漢方薬屋や免税店に連れて行きそこでやたら商品を勧めるし、免税店ではインスタントコーヒーを出されてサービスかと思い飲んだら、ホテルの喫茶店以上のコーヒー代を請求してくるし、中国のチョコやお菓子よりも日本人がくれた日本のチョコが最高に美味しかったと言うし・・それには幻滅しました。

北京では高層ビルがいっぱいふえてて、北京での通訳ガイドさんに高層住宅のほとんどが国家機関にかかわる人の住まいだときかされました。タクシーがやたらに増えてました。
紫禁城は観光客が多すぎてゆっくり見れないし、場所によって紙の靴カバーを履かされました。

でも北京の空はまだ蒼かったな!町並みに自転車も多かったし、北京の通訳さんはとてもまじめで感じがよく、『がんばって中国語を覚えてください、わたしももっと日本語が上手くなるよう、頑張ります』と言われたのがとてもうれしかった。

四度目に中国を訪れる日は来るのでしょうか??
今のところまったく予定なし
中国語もその後は翻訳して書いても、発音するのは無理とわかっているから挫折したまま

蘭陵王で3度目の中国熱ブームが続いています。
これからも蘭SS頑張ります。ファイトわたし066.gif





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by syouhou36 | 2015-11-07 12:58 | 中国旅行 | Comments(0)

日々の暮らしのこと、山内惠介さんのこと、中国や韓国ドラマの感想などを書いています。


by オバちゃん
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